昨日2月28日は馬場君の一周忌です。冥福を祈ります。
亡くなったのを知ったのは5月ころだったか、彼の撮影した写真の葉書に奥様からのお知らせが書いてあった。それだけでした。最後は東京広尾のホスピスに自ら希望して入って3ヶ月ほどだったそうです。
彼とは17年ほど前に事務所を探していたころ、そのマンションに彼が住んでいて再会しました。彼は写真家として日本全国の古い町並みを撮影してまわり、D法規から全集を出版したり、MホームのPR誌でもシリーズを出していました。いずれもハードカバーの厚くて大判の立派な本で、図書館でもよく見かけました。そのほかCDのジャケットやデザイン系の雑誌などへ写真を提供していました。
それからずいぶん経って、故郷の病院の建替えについて相談をうけました。彼は写真家をしばらく休み、医療法人の理事としてお父様が理事長、お兄様が院長という100年近く続く病院の経営の改革と、新病院の建替えに踏み出すことになり、私が建築設計の構想から現場監理までの手伝いをさせてもらいました。介護保険が始まる寸前で必死で勉強をしました。現病院を運営しながら半分つくり、壊してあとを作るという2年がかりの工事でした。構想から竣工まではたしか4年ほどかかったはずです。
あるとき突然大学病院に入院。数回の食道ガンの手術を繰り返し、声も失いましたが、気丈に病院経営にかかわり、これからの病院の行方も考えていました。今後の構想についても相談をうけました。結局煮詰まらないままになっていて時間が経ち、いきなり訃報が届いたというわけです。医療や福祉そして高齢者や障害者のことやそれにかかわる建築について興味を持ち、経験できたのは、まさにこの病院の建築設計にかかわったおかげです。このことは感謝してもしきれないと思っています。
高校では山岳部にいたこともあり、寮の話もよくしていました。結局東京の写真関係の学校に行き、東京に住みました。少し早く逝ってしまった彼の思い出を語りませんか。