2004.02.25 Wednesday

続 煙草考 --K.N

煙草のパッケージには実に奇妙にして、お節介な文章が必ず印刷されている。「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」およそヒトの行動で、飲みすぎであれ、食べすぎであれ、どんな事でも遣りすぎて健康を損なわないことが一つでもあるのだろうか?「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺もあるが、及ばざるよりも過ぎる事のほうが健康には間違いなく悪いのである。何故、煙草だけに限ってこんな解りきった事の印刷をお上は強要しているのか?

煙草が健康に良くないのなら「あなたの健康に悪いので決して吸わないようにしましょう」と印刷すべきではないか?過ぎるから悪いと云う論理ならば煙草だけに強要するのは理不尽であろう。ジョギングやウォーキングでさへ毎日何時間も続けていれば必ずや健康を損なう。であれば・・・スポーツシューズのパッケージに「あなたの健康を損なうおそれがありますので、歩きすぎ、走りすぎに注意しましょう」と印刷すべきではないか?コンドームのパッケージには「あなたの健康を損なうおそれがありますの遣りすぎに注意しましょう」と印刷すべきではないか?お酒などは過ぎれば急死にも繋がるのに飲みすぎに注意しましょう。と、印刷されていないのは如何なる理由であろうか?繰り返すが、、、どんな事であれヒトのする事は過ぎれば健康を損なうのである。煙草だけが中世の魔女狩りのような不合理きわまりない弾圧を受けている。なんとも・・・???である。

あなたの健康を損なうおそれがありますので下手なコラムの読みすぎに注意しましょう。(-。-)y-゜゜゜

2004.02.25 Wednesday

煙草考--K.N

今夜は煙草の話しである。俺の知人が口癖のように「身体に悪い事は解ってんねんけど・・・」とぶつぶつ言いながら紫煙を燻らせている。それなら止めれば良さそうなものを・・・悪いと思いつつ我が心を自虐的に責めて吸い続けるストレスが一番悪いような気がするが?どうやら世間の常識として煙草は身体に悪いと信じられてる事は疑いの余地が無い事実らしい。

俺も愛煙家である。実になんとも、心身に気分良く感じて若い頃から大らかに吸っている。
煙草が身体に良いか悪いかを議論したいとは思っていない。俺は身体に良いと思っているが、世間の常識では既に悪いものと結論が出ているようである。まあ、煙草は所詮「嗜好品」であって、各自の判断で勝手にすれば良いことであろう。俺の煙草への思いや考え方を馬鹿馬鹿しいと思うヒトは一笑にふそうが、ここで読むのを止めようが、「阿呆かぁ!」とレスしようが、、、勝手にして頂けばよろしいのである。

一昔前に日本中の何処の病院や医院に行っても煙草を吸っているヒトはこんな肺になりますよ!とばかりに真っ黒な肺の内部写真の煙草撲滅運動みたいなポスターが貼り出してあったのを記憶されてる方は多いであろう。実際、あの写真のインパクトは衝撃的であって、煙草を吸えばこんな黒い肺になるのかと恐れ慄いて禁煙したヒトも多いのではなかろうか?今でも信じ込んでるヒトは少なからず居られると思う。いつの頃からか、あのポスターは世の中から消滅してしまった。実はあの衝撃的な写真は某大学医学部の捏造写真であったらしいのである。どんなにヘビースモーカーでも喫煙で肺が黒くなりはしない。全く喫煙経験がなくともヒトは年老いれば肺が黒く変色する。つまり、あのポスターは肺の中など覗けない事をイイことに煙草を健康に悪いと人々を思わせる目的で捏造配布されたのである。その事を報道したマスメディアは今日に到るまで俺の知る限り一件もない。恐ろしいほどの世論操作である。

煙草を吸うと、一本吸うたびに10分とか15分とか寿命が短縮されると、まことしやかに喧伝されている。もしそれが事実なら、先進国で一番喫煙率の高い日本人男性は先進国の中で一番平均寿命は短い筈である。しかし事実は・・・世界一の平均寿命を誇っている。実験用マウスの皮膚に煙草の成分であるタールを毎日塗り続けると皮膚ガンになるらしい。当たり前である。タールでなくとも味噌でも醤油でも毎日大量に同じ部位に塗り続ければ簡単に皮膚ガンを誘発する。喫煙は肺ガンの大きな誘因と言われ誰もがそれが常識と思っている。恐怖感と健康志向から禁煙者が増加し、煙草を止められないヒトの為には、続々と軽い煙草、、ニコチンやタールの少ない煙草が売り出されている。さぞかし肺ガンは激減している筈・・・・・んっ?
なんで毎年毎年肺ガン患者は増えてるの???

喫煙により心拍数が上がるから心臓の悪いヒトには煙草が良くないから止めなさいとお医者様は仰る。心臓の悪いヒトは心拍数が急激に上がるスポーツのほうが良くないのではなかろうか?ジョギングや散歩が心拍数が上がるから止めた方が良いと仰るお医者様が居られないのも妙ではないか?。煙草ほど気分が沈んでいるときに高揚してくれて、気分が高揚してるときに鎮めてくれる嗜好品はない。煙草は心の栄養剤であると俺は心から思っている。

肺ガンが増え続けているのは車の排気ガスや、その他の石油文明が排出する大気汚染物が主原因であり、それらから眼をそらす必要に迫られて煙草を魔女に仕立てている強大な力が
世界中をマインドコントロールしている。・・・と、俺は勝手に思い込んでいる。。念のために申し添えるが俺は親戚縁者も含めてJTとはなんの関わりも無い。。

さて・・・いっぷく
(^。^)y-.。o○
今日も元気だ煙草が旨い!!

2004.02.25 Wednesday

続・酒の文化-K.N

日本酒は3種類に分類されている。普通酒・本醸造酒・純米酒である。俺に云わせれば日本酒と呼べるのはこの中で純米酒だけである。ドイツが大麦100%を原料にしたモノだけをビールと定めているように日本でも米100%を原料にしたモノだけを日本酒と何故定めないのか?

元来、日本酒は米100%で製造されてきた。しかし戦時中の米が不足した時に止むを得ず廃糖蜜を醗酵させたアルコールを添加し3倍に薄めて日本酒を造ったのである。緊急避難措置として止むを得なかった。ところが戦後も日本酒のメーカーはこの「三倍醸造」と呼ばれるアルコール添加を止めなかった。昨今の米余り現象の中ですら決して止めようとしない。理由は簡単!日本酒を三倍に薄めて、水や化学調味料やその他の化学添加物を加えて調整し普通酒として売るのがボロ儲けになるからである。本醸造酒は流石に化学調味料などは加えていないらしいがアルコールは添加して水で薄めている。それが日本酒の情けない文化である。幻の銘酒等と持て囃されている新潟の「越の○○」もアルコール添加の酒である。そんな物を有り難がって呑んでいる日本人・・・その程度が日本の酒文化の現実である。純米酒が日本酒として当たり前なのにそれを当たり前と思うこともしない日本人・・・摩訶不思議である。

若しもフランスでワインに廃糖蜜アルコール添加や水や化学調味料を加えたモノを「普通ワイン」、「本醸造ワイン」とし、従来のワインを「純葡萄ワイン」としたらフランス人は許すだろうか?蛇足ながら・・・俺は自宅では純米酒しか呑まない。。

2004.02.25 Wednesday

酒の文化--K.N

お酒はなんでも嗜むけれどやはり最初の一杯は日本人らしくビールが美味しい。しかし残念な事にここ数年、各ビールメーカーはビール風味のアルコール飲料の開発と販売に余念がない。ビールの酒税が他の酒に比べて桁違いに高いから(日本だけ)酒税の安い発泡酒なるモノを作って低販売価格にするためとはいえなんとも憂慮する軽薄な風潮である。

そんな中で今年はサッポロが「ドラフトワン」という新製品を発売した。驚いたことに麦を一切使わず「えんどう蛋白エキス」から作るビール風味アルコール飲料で雑酒に分類されるとのこと・・・発泡酒(350ML・145円)より更に安い125円で販売中である。発泡酒は曲がりなりにも25%の麦芽を原料にしてるからまだしも、えんどう豆から作った雑酒をいかにもビール風に宣伝して販売かぁ・・・サントリーは麦芽100%のビールに麦焼酎をブレンドして「麦風」という新製品を3月に発売する。なんと・・・リキュールに分類されるから130円とのこと。ちなみにビールは350ML・218円である。一旦ビールを作り、わざわざ麦焼酎をブレンドするという工程を経たら発泡酒よりも安い130円になる・・・?。俺の茫洋とした頭脳では到底、理解不可能な不思議な日本の酒税法である。

ビールの本場ドイツでは麦芽100%で醸造したものしかビールとは認めていない。500年も前に作られた有名な「ビール法」でビールとは「麦芽・酵母・ホップ・水」から作られたものだけと厳密に規定されている。日本製ビールのトップ銘柄やその他の殆どのビールもコーンスターチや米などの副原料を使用しており、麦芽使用量は65%強である。俺は自宅では麦芽100%のビールしか飲まない。日本で麦芽100%と酵母とホップと水だけで製造されたビールの銘柄を皆さんは幾つご存知ですか?

2004.02.25 Wednesday

牛丼フィーバー--K.N

アメリカの牛肉が狂牛病(BSE)発生で輸入が禁止され、その影響で吉野家の牛丼が販売休止に追い込まれその食べおさめに長蛇の列が出来ていた。日本で一昨年に狂牛病の牛が発見されたときは牛肉を全て買い上げて焼却処分にしたが今回は輸入停止しただけですでに輸入されていた牛肉は野放し状態。その片手落ち行政を不思議がりもせず誰も恐がるどころかそれの食べおさめに行列・・・まあしかし、、狂牛病に罹患したヒトは世界中に一人もいない。ヤコブ病の新変異型に異常プリオンが関連してるのではないかと疑われている程度である。今のところ、一般大衆が狂牛病を恐れる必要は無いし、インフルエンザのほうがよほど注意すべき病気である。

そんなことよりも・・・福田官房長官の記者会見発言、、「慣れ親しんだものがBSEで無くなるのは寂しい。早く復活して欲しい」.奥田経団連会長の記者会見発言、、「牛丼が無くなっても
死ぬわけではない。日本人は右から左へ早くふれやすい単純な国民だと感じた」.牛丼復活へのエールと牛丼フィーバーへの皮肉・・・別に目くじらを立てるような発言でもないと、、一見感じる。

しかしである、、、この牛丼フィーバーで俺が一番恐いと思ったのは一国からだけの食材が輸入停止になった途端に日本人が日常的に食している食べ物がいとも簡単に消えてしまう事である。政財界のトップがこの事態を目のあたりにしてそんな呑気な発言でこの国は大丈夫なのか?日本の食料の自給率はカロリー計算にしてわずか40%そこそこに過ぎない。先進国の殆どが軽く100%を越えており40%や、それ以下などという数字は日本以外では砂漠国だけである。国民が飢餓に苦しんでいるあの北朝鮮でさえも70%を越えている。逆に云うと70%という自給率は餓死者が発生する数字なのである。40%という自給率で世界規模の戦争が勃発したり、大災害などで輸入がストップしたら一体、日本はどうなるか?小学生が考えても判ることである。トウモロコシを食べるのとトウモロコシを飼料として飼育した肉を食べるのでは全く事情が変わるから悪戯に数字だけをあげて不安を助長することは決して本意ではないが・・・お金で簡単に食料が買えるという現実の中で、日本人は食料を粗末に扱い、国の存亡の根幹にかかわる農業問題をなおざりにしすぎてはいないだろうか?

最後にこれだけは付け加えておこう。これほど絶望的なまでに食料の自給率の低い日本で
コンビニやレストランなどの流通過程や家庭から出て捨てられている食べ残しの食料が消費量全体の20%もあることを。。。

2004.02.25 Wednesday

そこを、なんとか!!・・・ K.N

日本の社会は実に曖昧な言葉やもたれ合いの風習が多いなぁ〜とつくづく感じて今日まで生きてきた。商談をしてても、外国人であれば、出来ないことはノーであり、一旦ノーと言われればイエスと言わせるためには譲歩した条件を提示するしかない。しかるに日本人は、なんの条件提示もしないままに「そこを、なんとか・・・」と相手の情に訴える。言われたほうも、相手がそう言い出だして頭を下げるのを待ってる節がある。ノーであった筈やのに、「あんたに、そこまで言って頭を下げられてはねぇ」と譲歩する。それはそれで悪い事でもなく日本特有のムラ社会の善いところなのかも知れない。

ところが最近気になるのは若いヒトの行動を見ていると「そこを、なんとか!」と頭を下げるヒトが少なくなった。「なんとか、お願い出来ませんか?」までは言うのであるが誠心誠意、頭を低くして「そこを、なんとか!」をしないのである。諦めが早いと云ってしまえばそれまでであるが、どうやら相手の情念にまで訴えかけようという行動は潔しとはしない意識に日本人は変化しつつあるらしい。善いことなのか?悪い事なのか?俺には判断できないけれど、人情に訴えるような日本的な「のんびり社会」も残して欲しいと思う今日この頃である。えっ?それは最早、無理かも・・・でっか?う〜〜んっそこを、なんとか!!・・・

2004.02.25 Wednesday

選挙権-K.N

今日は京都市長選挙の投票日・・
まあ100%ではないけれど、俺は選挙には余程の事情以外、投票に出かけることにしている。

選挙の度に新聞やTVニュースでは最近の投票率の低下を報道しその低さを嘆いている。先日の大阪府知事選も41%ほどの史上最低の投票率であったらしい。多分、今日の京都市長選もお天気は良かったけれど投票率は低い結果になろう。現職の市長に各党が相乗り、対立候補は共産党。そして今一人の泡沫候補。若者の選挙離れが云われるけれどこれでは若くなくとも離れてしまう。まあそんな不毛な地方選を云々してても面白くもなんとも無い。「選挙権」という20歳になった成人に自動的に与えられる「権利」に俺は問題提起をしたいのである。

現代の日本社会で義務を忘れて権利のみ主張するヒトが増えているという問題が色んな場面で議論されている。俺もそんな風潮には少なからず懸念を感じているが・・しかし今の日本で権利を主張・行使する前に義務をキチンと果たすべきであるというそんな教育や啓蒙がなされているだろうか?義務を果たすから権利が得られるのだという社会の仕組みになっているだろうか?その端的な例が「選挙権」という権利についての制度が根本から間違っていると俺は思う。

云うまでもなく日本国民の三大義務とは「教育」「勤労」「納税」である。国会であれ、地方議会であれその主たる仕事は税金の使い道を決めること・・・つまり予算案を審議して予算を決定することである。国会に色々と設置される委員会の中でも予算委員会が一番重要視されTV中継されているのがその事を如実に物語っている。それを審議する議員を選ぶ選挙の選挙権は当然ながら「納税」という国民の義務を果たしたヒトだけに与えられる権利であるべきである。20歳になったからといって自動的に「選挙権」を与えるからなんの義務を履行せずとも権利は勝手に転がり込むものと思い義務を果たしたかどうかなど誰も考えもしないのである。明治時代のように高額納税者だけに選挙権を与えよなどと暴論を吐いているのではない。「教育」を受けて、「勤労」に励んで「納税」して、、、真面目に義務を果たしているヒトとその配偶者にだけ選挙権を与えるべきと思うのである。勿論、停年退職後は別である。年寄りは国の宝・・・真面目に勤め上げ納税義務を果たしてきた人達には終生の選挙権は当然である。最近、選挙権を18歳に引き下げようなどと馬鹿なことを云い出すヒトまでいる。ますます権利の安売りである。義務教育を終えて勤労し納税してれば16歳から選挙権を与えれば良いではないか。

しかし20歳になっても親のスネをカジッてるヒトや、30歳になっても定職にもつかずフリーターとかで納税してないヒトに選挙権を与えるべきではない。ましてや、本来は高額所得者であるはずなのに、所得を誤魔化し脱税をして子供の幼稚園の月謝まで補助金を不正に受け取っているような義務感の欠如したヒトに選挙権など決して与えてはならないのである。若者でも自分が納税という義務を果たして得た権利であると思えば胸を張って選挙に出かけるであろう。立派な邸宅に住んでいても脱税をして選挙権を剥奪されれば恥ずかしい限りであると少なからず思い知るであろう。そんな選挙権にすることで投票率など選管が苦労して宣伝に励まなくとも、一気に高くなる事を・・・そして権利には義務が伴うことを全国民が肝に銘じるであろう事を俺は信じて疑わない。。
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