2003.07.12 Saturday

京都人チェック

京都人チェック
みなさんもコメントしてみて下さい。
私は京都を離れてもう34年にもなるので、ちょっと傾向が変わって来てます。
昔を思い出して、やってみました。

京都人チェック!
● 「おっきい、おっきい」「寒い、寒い」と形容詞を繰り返す。
まあ、そやな。

● 「この前の戦争」といえば、応仁の乱だ。
人がそういうのを聞いたことはある。

● 人の陰口を言うのがことのほか好きだ。
ほんとはそうだけど、、自分に禁止してるけど、やっぱりそうなる。

● いけずを文化だと思っている。
そうや。

● 時代劇のロケ地を即座に言い当てることができる。
前はだいたい当てられた。今はちょっと。。

● 東京人より大阪人が嫌だ。
大阪の人も品よくさっぱりして合理的な人がたくさんいる。江戸っ子よりもやっぱり上方の品のよさがある。

● KBS京都のかたつむり大作戦を知っている。
しりまへん。

● 京都の人はみんな「〜どす」と話すと思われている事を笑い飛ばせるぐらい自分は寛容だと信じ込んでいる。
はい。
かえって京都にはいろんな話し言葉があるんやで、と説教してしまうが、相手には理解されない。

● 京都が日本の中心だと思っていて、いつか天皇は京都に帰ってくると信じている。
おもてます。ちょっと東京なんかにくだってしまはっただけや。おきのどくに。

● 本音と建前を完璧に使い分けることができる。
それが生きる道。
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2003.07.10 Thursday

ナッシュビルレポート#3

レストランにて
有名なステーキハウスだった。勿論、味は最高、サイドのポテトも日本では味わえない逸品でした。
さすがに、ミュージック シティー、ギターを抱えた歌手が一人で部屋に入ってきて、C&Wを歌うのです。
エルビス プレスリーの「愛さずにはいられない」を歌い出だした所、同行の一人が、ハーモニー パートを歌いデュエットとなりました。歌手は、何処で誰が歌っているのか解らないのですが、近づくと、他の人が歌うという様な次第で、次の曲になり、全員でバックコーラスを付け、大合唱となりました。
歌手の人は大喜びで、アメリカ人の客でも
有り得ないような、まるでミュージカル映画のような展開になってしまいました。

質問には一切答えず、3回のレポートをいたしましたが、実は、1999年に行った時の事柄を綴りました。
いよいよ、今回のレコーディング ツアーの詳細については、Sean君にバトンタッチをいたします。
お楽しみに、、、、、  

posted on Wed, 19 Mar 2003 for 39_ml by Kashiwa:

2003.07.10 Thursday

ナッシュビルレポート#2

リンチバークでは、こんこんと泉が湧き出ており、
楓の潅木を、チャコールにして、これを、フィルターにして醸造しています。
この5Mを越すような円筒状の、ろ過装置の上部のふたをゆするだけで、あの馥郁たる香りが充満し、それだけで酔いそうでした。しかし、ここでは、いまだに禁酒令が解かれて居ません。
一滴たりとも、飲むことは、できませんでした。
初代ジャック ダニエルの像が岩の上にあり、これが本当の、オン ザ ロックと案内人が洒落ていました。
英語の発音は、きわめて訛りがひどくて、アメリカ人でも聞き分けづらいそうです。
でも、英語の話せない私は、何故か洒落を理解できました。
休憩所では、おいしいレモネードを頂きました。

レモネードといえば、ナシュビル近郊のヘンダーソンビルの人達(2〜3年に1度来日し、友好を深めている)が主催して、自分達の手作りで、パーティーをしてくれました。
フライドチキンや、サンドイッチ等のアメリカらしい雰囲気をさらに盛り上げていたのは、テーブルに青いクロスと、テンガロンハットを飾り付けていた事を思いだします。もてなしの極意、昨今の日本人はすでに失っている昔の日本人が自然に身に付けていたような事柄を大事にしているなと感じました。

ちょうど時間となりました、今日はここまで、、

posted on Tue, 11 Mar 2003 for 39_ml by Kashiwa:

2003.07.10 Thursday

ナッシュビルレポート#1

ナッシュビルについてのお問い合わせ、良くぞ聞いて下さいました。

学生時代とちっとも変わらず、何の下調べもなく行っています。広さ、人口、産業何も知りません。
景色は、京都と違い空がとても広いです。地平線のような景色に朝、夕の太陽が感動的です。
緑がとてもきれいで、楓の葉も大きいです。秋の紅葉も、日本の赤とは湿度の違いなのか真っ赤です。

圧倒的に白人が多い町で、古きよき時代の人々が大勢居るような雰囲気で、郊外のリンチバークへ
ジャックダニエル(テネシー ウイスキー)の工場を訪ねましたが、チャペルや役所が町の中心に有り
放射線状に道が走るようなそんな、西部劇映画そのままの所でした。

今日のところは、ここまで仕事に入ります。つづきをおたのしみに、、、、、、。

posted on Wed, 5 Mar 2003 for 39_ml by Kashiwa:

2003.07.07 Monday

草千里--阿蘇

こんな情景覚えてますか?
kusasenri.jpg
いろいろ思い出があると思います。コメントお待ちしています。松代

2003.07.07 Monday

原田君レクチャー目次

山形県高校生文化フェスティバル「発見!山形のすごい人」:基調講演 
「地球史が教える若者の生き方」   京都造形芸術大学芸術学部 教授 原田憲一 
2002年11月23日・山形テルサ

1.なぜ人間は死ぬと分かっていても生きていくのか
2.地球の歴史を長さで表すと
3.地球と生命の歴史
4.地球と生命の歴史から学ぶこと
5.生命史的人生訓
6.山に登れば高い山が見える
7.高校で習うことは何か
8.美しくなってきた地球
9.人間の生命史的な役割
10.山形県の発展方向と君たちの進路
本稿は、山形県が起こしたテープ原稿を、筆者が編集し加筆修正したものです。県が作成した報告書に収録された講演記録とは若干異なっています。
(c)Harada, Kenichi 2002-

2003.07.07 Monday

山形県の発展方向と君たちの進路

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
10.山形県の発展方向と君たちの進路

山形県では10年ごとに総合発展計画を策定しています。これから山形県をどういう県にしていけばよいかを、各界の専門家が集まって検討して、いくつかの案を出す。そして最終的に、知事が「よし、これでいこう」と決めて実行していくわけです。平成7年には伊藤善市先生という帝京大学教授が中心となって、計画案がまとめあげられました。(註13)それを5年後(平成12年)に見直すこととなり、今度は芳賀徹先生という京都造形芸術大学の学長が中心となって、上記計画に基づいて、特に3つの方向で山形県を伸ばしていこうという答申を高橋和雄知事に出しました。(註14)

その一つは、まさしく「美しい山形へ」。山形県民は人間の本流をまっすぐに歩いて行こうではないか、という提案です。それから「豊かな山形へ」。この美しさを求めるには、どんなに貧乏でも夢を見失わずに頑張る人もいますが、やはりある程度の豊かさが必要なので、県民の暮らしを豊かにしようということです。しかし、これらは山形県民だけが達成すればよい目標ではない。日本人でも外国人でも山形県を訪れてみたい人は誰でも暖かく受け入れて、我われの生き方に共鳴してもらう。そういう「開かれた山形」にしよう、と提言したわけです。
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2003.07.07 Monday

人間の生命史的な役割

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
9.人間の生命史的な役割

地球の歴史は美しくなってきた歴史ですが、最も美しくなった段階で現れた生き物が、アウストラロピテクスを始祖とする人間の仲間です。その末裔である我われホモ・サピエンスの先行者は、旧石器を使っていたネアンデルタール人で、かなり高度な意識をもっていました。その裏づけは、ネアンデルタール人の女の子が葬られた墓のなかの土からヤグルマソウの花粉がいっぱい出てきたことです。女の子が死んだ時に、おそらくお父さんお母さん、親戚縁者が彼女の死を悼んでヤグルマソウの花束を捧げたのでしょう。ネアンデルタール人も死を悲しむ心、花を美しいと感じる心を持っていたことは間違いないのですが、芸術作品と呼べるものは残していません。

その理由を最近、仲間の地球科学者から教えてもらいました。(註12)
今の人間は言語能力が非常に発達しています。ウグイスを騙すくらい鳴き真似がうまかったり、楽器がわりに口で音を出すこともできる。だから、無数の言葉を語りわけることができます。しかしネアンデルタール人の骨を調べると、我われほど巧みにはしゃべれなかったようです。つまり、幼子が「あー」とか「うー」とか「これー」としか言えないように、しゃべれる言葉の数が少なかった。だから、目の前にある花はきれいだとか、この死んだ子供はかわいそうだということは言えても、目の前にない出来事や事象を言葉で説明することはできなかったようです。
ところが我われは、さまざまな言葉を組み合わせることで、目に見えない出来事を語ることができます。たとえば、山を越えて向こう側に3日間歩いて行くと、大きな水溜まりがあって、そこには魚がたくさんいたとか、3年前に大雪が降ったので、北の方から逃げてきた、とかです。
だから、「真・善・美」のように、言葉でしか表現できない抽象的な概念が生み出された。そうすると、花を見ても美しい。鳥を見ても美しい。四季折々の自然を見ても美しい、という個別的な美しさを一度抽象化して、頭の中で美の概念を組み立て、それを今度は歌とか踊りとか、彫刻とか絵画といったかたちで表現する。すなわち芸術を、我われ人間が初めて創り出したわけです。
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2003.07.07 Monday

美しくなってきた地球

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
8.美しくなってきた地球

先ほど言いましたように、君たちは、死ぬと分かっていても、寿命がくるまで生き生きと、生きぬかないといけない。親から受け継いだ生命の流れを次世代に受け渡すためです。そして、生き生きと生きていくには、60億人の中で自分一人にしかできないことをやることです。それはとても素晴らしい生き方なので、生きている間は言うまでも無く死んだ後でさえも、必ず他人を感動させ、勇気づけます。
とはいえ、「好きなこと、得意なことをやれば良い」と言われても、「人間はやはり何かすべきことがあるのではないか」と考える人も多いはずです。残り時間が少ないので、詳しく説明できませんが、配布した資料「美しくなる地球と芸術立国」(註11)と「人間にとって芸術とは何か」(註12)を参照しながら聞いてください。

地球46億年の歴史の最末端に我われがいて、環境を破壊している。アマゾンの熱帯雨林を乱伐しているとか、オゾン層を破壊している。最上川にゴミを投げ込んだり家庭雑排水を垂れ流して、日本海を汚すとかです。もし、君たちが庄内浜に立ってゴミだらけの浜辺を見れば、ついついタイムマシーンで過去に遡っていけば、いまのような汚れの無いもっと美しい自然が見えるに違いないと思いがちです。
ところが500万年前に戻っても、地球は今ほど美しくない。なぜかというと、その頃はまだ四季折々がはっきりしていないので、ロッキー山脈の氷河地形とか鳥海山の紅葉は見ることができない。しかも、目にする生き物の種類も今より少なかった。つまり「自然の美」が少なかったわけです。
現在は、特に日本では、四季の変化がはっきりしています。新緑があったり、紅葉があったり、渡り鳥が渡ってきたり、真っ白な雪で覆われたり、と。しかし、こういう変化に富んだ四季の移り変わりが完成したのは、地質学的にはごく最近、わずか数十万年以降のことです。それではと、3万年前の山形に戻ってみても、出羽三山神社とか山形の唐松観音はない。専称寺もなければ山形城もない。馬見ヶ崎川の川沿いにある桜並木も一切ない。ということは、今の地球が一番美しい。
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2003.07.07 Monday

高校で習うことは何か

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
7.高校で習うことは何か

京都造形芸術大学で学生に「将来もしも世界有数のファッションデザイナーになったとしたら、どこで活躍していると思いますか」と尋ねると、「ミラノ」とか「パリ」と答えるわけです。では「イタリア語かフランス語をしゃべれるか」と聞くと「しゃべれません」。「英語は?」「大嫌いです」。「じゃあ、ミラノやパリに行ってどうするつもりだ。イタリア語もフランス語も知らない、英語はしゃべれない。それで活躍できると思うか」。「それから、ミラノはどこにある町か知っているか」「イタリアです」。「イタリアのどのへんにある」「そこまでは知りません」と平気で言う。大まかな世界地図くらい頭に入っていなければ困る。また、イタリアがどういう国で、ミラノの歴史はどうで、なぜファッションの町になったのか、ということもファッションデザイナーになるには必要な知識です。

君たちも、ファッションでも果樹栽培でも何でもいいのですが、自分が将来世界の第一人者となった時に、どこでどんな活躍をしているのかを思い浮かべて見てください。世界の地理も要るし、世界史もいることが分かるはずです。世界の一流と仕事場や社交場で会話するには英語が不可欠だし、東南アジア圏では漢字も必要です。また、自分の生い立ちや考え方を説明しようとすれば、日本の歴史や地理もいるわけです。無論、生地の染色、裁断、縫製ということになれば理科・工作の世界になる。そして、デザイナー契約やバイヤーとの交渉などを考えると、社会科は必須科目です。また、国籍が違う人々が集まる職場での人間関係を上手にまとめるには、ホームルームの時間や部活でチームワークを学んでおかねばなりません。しかし、何と言っても世界的に活躍するには健康第一だから、保健の授業は欠かせないし、体育実技もサボれない。

高校時代に学ぶことは、決して大学受験目当てのものではない。将来世界一になった時に困らないだけの基礎を与えてくれるものなのです。だから高校時代の勉強は、科目を問わず、非常に重要です。
私も、この年になって東洋哲学の勉強会に呼ばれることもあるわけです。その時に、高校でたった1年しか漢文を勉強しなかったのに、漢文の資料は何とか読めました。フランス語の資料だと全く分からないのが、漢文だと3割くらい分かります。「ああ、習っておいてよかった」と思いました。当時は漢文の先生を鬼かと思って恨んでいたのですが、今では、厳しく鍛えられたからこそだ、と感謝しています。
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