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2003.07.07 Monday

美しくなってきた地球

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
8.美しくなってきた地球

先ほど言いましたように、君たちは、死ぬと分かっていても、寿命がくるまで生き生きと、生きぬかないといけない。親から受け継いだ生命の流れを次世代に受け渡すためです。そして、生き生きと生きていくには、60億人の中で自分一人にしかできないことをやることです。それはとても素晴らしい生き方なので、生きている間は言うまでも無く死んだ後でさえも、必ず他人を感動させ、勇気づけます。
とはいえ、「好きなこと、得意なことをやれば良い」と言われても、「人間はやはり何かすべきことがあるのではないか」と考える人も多いはずです。残り時間が少ないので、詳しく説明できませんが、配布した資料「美しくなる地球と芸術立国」(註11)と「人間にとって芸術とは何か」(註12)を参照しながら聞いてください。

地球46億年の歴史の最末端に我われがいて、環境を破壊している。アマゾンの熱帯雨林を乱伐しているとか、オゾン層を破壊している。最上川にゴミを投げ込んだり家庭雑排水を垂れ流して、日本海を汚すとかです。もし、君たちが庄内浜に立ってゴミだらけの浜辺を見れば、ついついタイムマシーンで過去に遡っていけば、いまのような汚れの無いもっと美しい自然が見えるに違いないと思いがちです。
ところが500万年前に戻っても、地球は今ほど美しくない。なぜかというと、その頃はまだ四季折々がはっきりしていないので、ロッキー山脈の氷河地形とか鳥海山の紅葉は見ることができない。しかも、目にする生き物の種類も今より少なかった。つまり「自然の美」が少なかったわけです。
現在は、特に日本では、四季の変化がはっきりしています。新緑があったり、紅葉があったり、渡り鳥が渡ってきたり、真っ白な雪で覆われたり、と。しかし、こういう変化に富んだ四季の移り変わりが完成したのは、地質学的にはごく最近、わずか数十万年以降のことです。それではと、3万年前の山形に戻ってみても、出羽三山神社とか山形の唐松観音はない。専称寺もなければ山形城もない。馬見ヶ崎川の川沿いにある桜並木も一切ない。ということは、今の地球が一番美しい。
46億年前は火の玉でしかなかった地球。それが雲で覆われて、宇宙から地表が見えないような姿になった。しばらくして雲の中の水蒸気が雨となって地表に降り注ぎ、海が誕生して、地球は水球に変わった。大海原にハワイのような火山島があちこちにできて、それらがプレートに乗って移動し、衝突して合体し、だんだん大きな陸塊に成長し、20億年前にようやく大陸ができた。だが大陸の表面は赤茶けた大地に覆われていて、生き物の影は全く無かった。そして7億年前、赤茶けた大陸は全面的に氷河で覆われ、地球は真っ白な氷球に変わった。1億年後、氷床が消え去った後には再び赤茶けた大地が現れたが、以前とは違って、大陸周辺の浅海域にはエディアカラ動物群が繁栄していた。

約4億年前のシルル紀末になってようやく海岸線が緑(シダ植物)で縁取られるようになった。そして石炭紀になると、シダ植物は大森林を形成し、地下に石炭層を蓄えていった。だが、シダ植物は水辺を離れて森林を創ることは無かった。約3億年前のペルム紀になると、乾燥に耐えられる裸子植物のイチョウとかソテツの仲間が出始め、次の中生代を通じて水辺を離れて内陸部に生息地を拡大していった。そして白亜紀中期、1億年前になって、ようやく花を咲かして実を結ぶ種子植物が繁栄し始めた。だからタイムマシーンで1億年をこえて時を遡ってしまうと花見ができないし、花飾りも作れないわけです。
宮城蔵王の「こまくさ平」に高山植物のお花畑がありますが、そうした草が現れたのが約5000万年前の始新世で、草原が裸地に広がっていくのは中新世2400万年以降のことです。「緑をまもれ」といいますが、「緑の大地」の出現は、地球の歴史からすれば、つい最近の出来事でしかないのです。しかしながら、植物相が豊かになったことで、昆虫を含めた動物相も豊かになりました。
そして地質時代の最後、170万年前の更新世(第四紀)になって氷期−間氷期の周期が始まり、数十万年前に10万年周期が明瞭になり、四季の変化が確立したわけです。現在、我われは、森林あり草原あり砂漠あり、高緯度地方の高山には氷河が見え低緯度地方の海岸にはサンゴ礁が見える自然景観を、当たり前のように楽しんでいますが、そうした景観が現れたのはごくごく最近のことです。

 もしも宇宙人が月面から地球を、誕生時からずっと見つづけてきたとすると、以下のように結論するはずです。地球は時とともに美しくなってきた。そして、それには生き物も大きく貢献してきた、と。

註10 京都新聞(02年7月18日)夕刊「現代のことば」
註11 東京自由大学 Newsletter vol. 12, p.8 コラム

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