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2003.07.07 Monday

人間の生命史的な役割

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
9.人間の生命史的な役割

地球の歴史は美しくなってきた歴史ですが、最も美しくなった段階で現れた生き物が、アウストラロピテクスを始祖とする人間の仲間です。その末裔である我われホモ・サピエンスの先行者は、旧石器を使っていたネアンデルタール人で、かなり高度な意識をもっていました。その裏づけは、ネアンデルタール人の女の子が葬られた墓のなかの土からヤグルマソウの花粉がいっぱい出てきたことです。女の子が死んだ時に、おそらくお父さんお母さん、親戚縁者が彼女の死を悼んでヤグルマソウの花束を捧げたのでしょう。ネアンデルタール人も死を悲しむ心、花を美しいと感じる心を持っていたことは間違いないのですが、芸術作品と呼べるものは残していません。

その理由を最近、仲間の地球科学者から教えてもらいました。(註12)
今の人間は言語能力が非常に発達しています。ウグイスを騙すくらい鳴き真似がうまかったり、楽器がわりに口で音を出すこともできる。だから、無数の言葉を語りわけることができます。しかしネアンデルタール人の骨を調べると、我われほど巧みにはしゃべれなかったようです。つまり、幼子が「あー」とか「うー」とか「これー」としか言えないように、しゃべれる言葉の数が少なかった。だから、目の前にある花はきれいだとか、この死んだ子供はかわいそうだということは言えても、目の前にない出来事や事象を言葉で説明することはできなかったようです。
ところが我われは、さまざまな言葉を組み合わせることで、目に見えない出来事を語ることができます。たとえば、山を越えて向こう側に3日間歩いて行くと、大きな水溜まりがあって、そこには魚がたくさんいたとか、3年前に大雪が降ったので、北の方から逃げてきた、とかです。
だから、「真・善・美」のように、言葉でしか表現できない抽象的な概念が生み出された。そうすると、花を見ても美しい。鳥を見ても美しい。四季折々の自然を見ても美しい、という個別的な美しさを一度抽象化して、頭の中で美の概念を組み立て、それを今度は歌とか踊りとか、彫刻とか絵画といったかたちで表現する。すなわち芸術を、我われ人間が初めて創り出したわけです。
一番古い芸術作品と呼べるものは、7万8000年前の線刻のある土塊で、南アフリカで発見されています。ホモ・サピエンスの出現は古くても十数万年前といわれていますから、出現当初から芸術を生み出す能力を持っていたことになります。最近発見されたフランスの洞窟には3万年前の壁画が残っています。それを見ると表現力は現代人とほとんど変わらない。そして5500年前に四大文明が成立すると、ピラミッドや万里の長城ができたし、王宮に連なる綺麗な並木道ができた。彫刻や絵画、陶器などの素晴らしい芸術作品も次々と生み出されていきました。人間が生まれ出てきたことによって、地球はいっそう美しくなってきたわけです。
こうした人類史的事実に立脚すれば、人間は、美しくなった地球をもっと美しくするために進化した、芸術的能力を持った生命史上初の生き物だと言えるでしょう。

それが最後の0.005mmのところで環境破壊を起こしている。しかし、地球の歴史からすれば、この程度のことで地球が壊れるはずは無いし、生命の流れが途切れるはずもない。地球の営みは、あと40−50mは、現状のままで続くことが分かっているからです。
環境破壊で絶滅する生き物は、当事者である人間です。しかしながら、たとえば失明した石井梅蔵さんが五重塔のような素晴らしい作品を作ったという事実、また今井正さんがクマタカの写真を通じて環境保護を訴えているという事実からすれば、現代の環境破壊は決して人間の本質に根ざした必然的現象ではなく、ごくごく短期的な異常事態だと見なせます。そして、その原因は、芸術を用いて地球をもっと美しくしていくという人間に与えられた使命を、「競争原理」という幻想に囚われた多くの現代人が見失ってしまったからだと言えるでしょう。

註12 鶴岡致道大学(2002年7月5日)松井孝典東京大学教授との対談「人間圏の未来像をめぐって」

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