2004.09.22 Wednesday
2004.09.22 Wednesday
●若王子「同志社墓地」ゆかりの方々
若王子山頂の同志社墓地内に在る同志社ゆかりの亡くなられた方々のお名前が刻まれた大理石の石碑の写真です。画像をクリックすると倍サイズになります。
懐かしきお名前を、いくつか御見受けします。訪れるたびに
増えていくということは、やはり、寂しさがつのってきますし、
訪れた、翌日九月十七日が"栄助"の命日であり、偶然、
"二ノ宮淑美"さんの偲ぶ会の日でもあったことが、
より、心悲しき想いにさせられました。
墓地内の木々だけが、異常に高く、大きくそびえています。
先生をはじめ、他の方も土葬によるものだと聞いたことがあります。
それ故、余り日の光があたらず、殆どのお墓が苔むしていて、
掃除をしたいのですが、近くに水場が無く、その日も
1.8Lのペットボトル3本に水を入れて持参し、お墓にかける程度しかできません。
只、やぶ蚊に刺されながら、備え付けのほうきで落ち葉などを掃除するだけです。
帰りは、南禅寺に通じる反対側の道からも降りられますし、
少し行ったところには「大文字山」に向かう道標もあります。
皆さんも、気候のよい時にでも、一度訪れてみられたら如何でしょうか?
懐かしきお名前を、いくつか御見受けします。訪れるたびに
増えていくということは、やはり、寂しさがつのってきますし、
訪れた、翌日九月十七日が"栄助"の命日であり、偶然、
"二ノ宮淑美"さんの偲ぶ会の日でもあったことが、
より、心悲しき想いにさせられました。
墓地内の木々だけが、異常に高く、大きくそびえています。
先生をはじめ、他の方も土葬によるものだと聞いたことがあります。
それ故、余り日の光があたらず、殆どのお墓が苔むしていて、
掃除をしたいのですが、近くに水場が無く、その日も
1.8Lのペットボトル3本に水を入れて持参し、お墓にかける程度しかできません。
只、やぶ蚊に刺されながら、備え付けのほうきで落ち葉などを掃除するだけです。
帰りは、南禅寺に通じる反対側の道からも降りられますし、
少し行ったところには「大文字山」に向かう道標もあります。
皆さんも、気候のよい時にでも、一度訪れてみられたら如何でしょうか?
2004.09.22 Wednesday
2004.09.22 Wednesday
●若王子「同志社墓地」参道
ken1です:
若王子山頂の同志社墓地内に在る同志社ゆかりの亡くなられた方々のお名前が刻まれた大理石の石碑の写真です。同志社中学入学まもなくに、必ず墓参したはずですが、それ以来行かれてない方が多いと見受けられます。高校からの方だと一度もないかも知れません。
そこで、写真の上だけでも行かれた気持ちになって頂けたらと、多い目に撮ってきました。皆さんよろしければご覧になってください。いずれもクリックで倍のサイズになります。
永観堂の北側の道を東へ、少し坂道になったところの右側に
幼き頃、遊んだことのある、浄水場内に疎水を利用した「若王子プール」跡。
今は残念ながら存在しませんが。
その反対側には、北に1.5キロほど銀閣寺までつづく、
”西田幾太郎”がこよなく愛した「哲学の道」
春は"桜"。夏は"蛍"。秋は"紅葉"。冬は僕が一番好きな、"雪景色"。
若王子神社を左に見ながら、民家の横の狭い道を抜けると、山道に入ります。
3,4分登ると、「新島先生墓 比山上」(同志社共葬墓地)と書かれた石塚が
あります、下のほうの文字が薄く、ここでお参りをして帰る方もあるらしいです。
ここから結構、急坂になり足元も常にぬかるんでいます。
休まず登れば、15分で山頂へ。たくさんのお墓が見えてきます。
ほとんど、クリスチャンのお墓。先生の亡くなられた明治23年当時
京都の町にキリスト教の墓を許可してくれる土地は、殆ど無かったと聞いています。
若王子山頂の同志社墓地内に在る同志社ゆかりの亡くなられた方々のお名前が刻まれた大理石の石碑の写真です。同志社中学入学まもなくに、必ず墓参したはずですが、それ以来行かれてない方が多いと見受けられます。高校からの方だと一度もないかも知れません。
そこで、写真の上だけでも行かれた気持ちになって頂けたらと、多い目に撮ってきました。皆さんよろしければご覧になってください。いずれもクリックで倍のサイズになります。
永観堂の北側の道を東へ、少し坂道になったところの右側に
幼き頃、遊んだことのある、浄水場内に疎水を利用した「若王子プール」跡。
今は残念ながら存在しませんが。
その反対側には、北に1.5キロほど銀閣寺までつづく、
”西田幾太郎”がこよなく愛した「哲学の道」
春は"桜"。夏は"蛍"。秋は"紅葉"。冬は僕が一番好きな、"雪景色"。
若王子神社を左に見ながら、民家の横の狭い道を抜けると、山道に入ります。
3,4分登ると、「新島先生墓 比山上」(同志社共葬墓地)と書かれた石塚が
あります、下のほうの文字が薄く、ここでお参りをして帰る方もあるらしいです。
ここから結構、急坂になり足元も常にぬかるんでいます。
休まず登れば、15分で山頂へ。たくさんのお墓が見えてきます。
ほとんど、クリスチャンのお墓。先生の亡くなられた明治23年当時
京都の町にキリスト教の墓を許可してくれる土地は、殆ど無かったと聞いています。
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