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2003.07.07 Monday

山に登れば高い山が見える

「地球史が教える若者の生き方」 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-
6.山に登れば高い山が見える

私の娘が高校に入学したとき、登山部に入ろうかどうかと迷っていたので、「とにかく山に登ってみろ」と助言しました。なぜならば、どんなに低い山でも、山頂に立つと、必ず高い山が見えるからです。次にその高い山に登ると、もっと高い山が見えてくる。そうして目標がだんだん高くなっていく。
低い山の山頂には、わけの分からない人が沢山いるものですが、高い山になればなるほど、装備もしっかりしてくるし、技術もしっかりしてくる。もちろん体力もしっかりしてくる。アルプス級、ヒマラヤ級の山になると、本当のトップクラスしかいませんから、そういう登山家を見ているだけで「こうすればいいのか。ああすればいいのだな」と技術向上のヒントを得ることができる。勿論、直に教えてもらうことすべてが勉強になる。そうして、次々に高い山を目指していくと、いつのまにか山頂でも2、3人しか見かけなくなる。そして山を降りて行くと、「あの人は三本柱の一人だ」とか「四天王の一人だ」とか言われる。
要は、娘にそういうことを体得してもらいたかったわけです。
個性的に生きるコツを掴むには、まず得意なことを最後までやり遂げてみること。すなわち、一つ小さな山に登ってみることです。すると「あそこにもっと大きな山があるじゃないか。面白そうだから登ってみよう」といことで、目標ががどんどん高くなっていく。そして、どうせなら世界一になるまでやってみようと決心すると、これから身に付けていくべき知識や技術がはっきり見えてくるものです。
例えば、日本国内で富士山や日本アルプスだけを登っている場合は、地図やガイドブックを読むにしても、天気予報を聞いて天気図を作るにしても、日本語だけでこと足りる。ところが、アメリカに行ってマッキンレーに登ってみようとすると、現地のWeather forecast を聞きとって天気図を書かなくてはいけない。地元のガイドとは英語で打ち合わせしなくてはならない。それで英語を必死になって勉強する。すると嫌々やっていたときに比べれば格段に上達が早いので、「結構やれるじゃないか。自分も捨てたものじゃないな」という気持ちになる。
また、国内の登山では「和食しか食べない」と言い張っていても何とかなるが、ケニアのキリマンジャロに登ろうとすれば、現地に日本食などありえないので、現地食を食べて、体力を落とさずに登山の準備をしなければならない。そのためには、日頃から好き嫌いを直し、自炊の仕方や栄養バランスの取り方を勉強しなくてはならない。しかし、目標達成に必要な通過点だと納得して取り組めば、短期間で驚くほど成果をあげることができるので、ますます学び方がうまくなっていく。

だから、まず自分の得意なことをやる。先に苦手なことを克服しようとしても、なかなか長続きしないからです。誰にでも得意なことはあるはずです。何回もアカツカトヨコさんのことを言うのは感動したからなのですが、彼女のように身体が不自由でハンデがあっても、いったん詩に目覚めて、その道を切り開いて行くと、自分のハンデを乗り越えて行く力が湧いてくる。さまざまなことを学習すればするほど、詩人の感性は磨かれ、表現も豊かになり、人の心を打つ力が強くなっていく。彼女が努力している姿をみて、手を貸してくれる人が出てくる。作品に感動してくれる人も出てくる。それで、どんどん周りが明るくなっていくわけです。

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