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2003.07.07 Monday

なぜ人間は死ぬと分かっていても生きていくのか

「地球史が教える若者の生き方」
1.なぜ人間は死ぬと分かっていても生きていくのか
京都造形芸術大学芸術学部教授 原田憲一 (c)Harada, Kenichi 2002-

本日は「地球史が教える若者の生き方」という題でお話ししますが、若者が生きて行く先には「死」があります。つまり人間は必ず死ぬわけです。君たちも、生きていれば死ぬと分かっているのに、なんで生きて行かねばならないのか、と考えたことがあるかと思います。真面目に考えようとする若者ほど悩むのですが、万人を納得させる「これだ」という答えは、今のところない。
歴史的にみれば、釈迦とかイエス・キリストとかソクラテスなど何人かが、答えを出したことになっているのですが、そうした聖人や賢人が考えたことを、後世の凡人たちがそのとおりに理解しているかどうかについては確証がない。例えば、今から2000年前にイエス・キリストが「人間はこう生きるべきであろう」と語った言葉が新約聖書に残っています。しかし、本当に本人がそう考えたかどうか、今となっては確認できない。たとえ本人が考えたことだとしても、それを現代の読者が正確に理解できているかどうかについては判断できない。
だから同じキリスト教と言ってもさまざまな宗派ができるわけです。
 君たちは「やまがたのすごい人」を発見し、その人となりを詳しく調べたことで分かったと思うのですが、人間はどう生きればよいかという答えは得られないものの、自分はどう生きたらいいのかを考えるヒントは、そういう人の一生から学ぶことができるわけです。
前もって頂いたエントリー順の資料を見ると、「小学校にも行かずに詩を書いたすごい人 アカツカトヨコさん」とか「独学で測量学と地図作成を学んだ最上徳内」、「新庄祭りで人形作りに指導的な地位にあった俳人の野川陽山」。現役では「クマタカ動物写真家 今井正さん」と「自然から学ぶ小国の料理人 本間義雄さん」。過去の人では「農業機械のすごい人 石井梅蔵さん」、「山形県議会はじめての女性議員 五十嵐なみさん」、「酒田を砂の害から守った本間光丘や日永上人」、「盲人に音楽を『日本点字楽譜の祖』 佐藤国蔵さん」そして「県都山形を作った最上義光」とあります。
こういう人たちの生き方を調べてみて、君たちは「これはすごい」と思ったのでしょうが、それは決して世に知られているとか、偉い賞や勲章をもらったからではないはずです。そうではなくて、なるほどこんな生き方もあるのか、こんなに努力した人がいたのだ、ということを知って感動し、そこに自分の生き方を重ね合わせてみようと思えたからでしょう。

例えば天童高校図書委員会が紹介するアカツカトヨコさんは25歳で亡くなったそうですが、寿命の短さにかかわらず、彼女の生き方は我われの心に訴えかけてきます。
資料にある詩の一節ですが、「私ハ歩ク 幻ノ足デ」。この方は肢体が不自由だった。「ソウ 幻ノ足デ 歩クノダ ドコマデモ/ 田舎道ノヨウナ デコボコシタ人生ノ道ヲ」。非常にきびしい道を困難な体をかかえながらも、しかし「タトエ 私ノ肉体ガ 燃エル 炎ノ中ヘ 消エテモ/ 私ニヨッテ 作ラレタ 幻ノ足ハ生キ続ケルンダ」。
この詩を読むと、私も新しい友達を得たような気になります。作者が25歳で亡くなったかどうか、女性であったどうか、学歴があったかどうか、そういうことに関係なく「ああ、こういうひたむきな生き方があるんだ」という感動が湧いてきます。そして一旦彼女の存在を知ったことによって、こんなに悲しい時には、彼女だったらどんな詩を歌ったのだろう。こんな苦しみをどう克服しただろう、とすでに故人ですが、今でも対話ができるわけです。
君たちも、百歳まで生きるかもしれないが、明日死ぬかもしれない。けれども、死で人生が終わるわけではない。詩人アカツカトヨコのように必ず誰かの心の中で生きていくことができるのです。何十年後か何百年後の山形県民に対して「ああ、この人ように生きたらいいのか」あるいは「この人のように考えたら幸せになれるのではないか」という、人生のモデルとなることができるからです。

今年の9月18日に庄内で開催されたシンポジウム「21世紀やまがた文化創造会議:出羽の国 人と文化の国」用に作られたパンフレットには、多くの偉人が紹介されています。なにも山形県人だけではなく、秋田県で生まれた人、あるいは上杉鷹山のように九州で生まれて縁あって山形県に来た人、そういう歴史的な人たちが今の県の在り方を大きく決めてきました。言い換えれば、いまの山形県は過去の無数の「すいごい人」たちによって紡ぎだされてきた産物です。
それを考えると、君たちが山形県に生まれてきて、今生きているという事実だけでも、私たち年寄りにとって大きな希望になっています。これから君たちがどのような山形県を創ってくれるのか。あるいは山形県を飛び出して、どんな日本を創ってくれるのか。さらには、日本から飛び出して、どんな世界を創ってくれるのか、という夢を描くことができるからです。

是非とも大きな目標を持って自信を持って生きていって欲しいのですが、「死ぬと分かっていて、なんで生きているのだろう」と悩んでいる、そんな自分に大きな目標を持てと言われても、何を目標にしたらいいのか分からない、という人もいることでしょう。
私も、つい最近まで、人間に共通した目的はあるのだろうか、人間にふさわしい生き方は何だろうか、といろいろ悩んでいたが答えられなかった。しかし、地球46億年の歴史と生命40億年の歴史を30年以上勉強した結果、ようやく最近二つのことに気がつくようになりましたので、その内容をこれからお話します。

一つは、人間だけに限らず、全ての生き物は、生まれてきた以上は生き延びなければならないということ。どんな逆境に出会っても生きのびる努力をやめない。もちろん、死ぬことは大前提ですが、これが生き物の一番の義務である。

二つ目は、あらゆる生き物は決して無目的に生きているわけではないだろうから、地球から何か役割をあたえられているはずです。当然、人間にも与えられているはずで、それは46億年かけて今のように美しくなってきた地球を、芸術を通じてもっともっと美しくしていくことではないか、ということです。

最初に、なぜ人間は死ぬと分かっているのに、生きていかなければならないか、について話します。

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