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2004.06.07 Monday

後ろ指をさす事を躊躇うな--K.N.

日本は法治国家である。
人を殺せば、法に照らして
罰せられる事は子供でも知っている。

しかるに
『なぜ』人を殺してはいけないか?を
知らない大人や子供が増えている。

我が子に
「なぜ人を殺してはいけないの?」と問われて、
即座に断固とした説得力で子供に説明し、
納得させてやれる親がどれだけいるだろうか?
「法律で禁じられているから・・・」と答えるのか?
「それなら完全犯罪で捕まらなければ良いの?」と
切り返されたら、どうするのか?

答えに窮して、、、
「人にされて困ることは、人にもしてはいけない!」
「駄目なものは駄目!」などと馬鹿な答えでは
子供が納得する筈もなかろう。

自分の娘が
小遣い欲しさに売春をして、
親が驚愕して叱り咎めた時に、
「自分も楽しめて、相手も喜んで、誰も困らない。
それで、お金が貰えるんやから最高よ!
なにがいけないの?」と云われたら、
「人にされて困ること・・・云々」は、なんの説得力も持たない。

まして、
親が哀しみ困ることは
しないでくれと頼むような
不甲斐ない親では、如何ともし難い。

世間とか社会とかいうものは
人と人とが群れ集まって構成している。
所詮、人は世間と関わらずには
生きられないし、
世間の掟に背くことは、
人から「後ろ指」をさされる事が
必定でなければならない。

全ての人間は多かれ少なかれ
良心を持っているけれど、
平気を装って罪を犯す人が
多数居ることも事実である。
そんな世間が、
より多くの人の幸せの為に
守るべき規範としてきたのは
「法」ではなく、「道徳」である。

人様から「後ろ指」を
さされないようにする事と、
そして誰にも少なからずある
「良心の満足」を心の支えとしながら
人々は生きてきた。
それでも罪を犯す不逞の輩には
法で裁いてきたのである。

だから人は「法」を犯してでも、
「道徳」だけは守ろうという性向がある。
極端に云えば人を殺してでも
世間の人から後ろ指を
さされない生き方を選ぶし、
世間はそれを許容してくれる。

その端的な例が「赤穂浪士」である。
その発端の原因は兎も角として、
一方的に刀で切り付けられて
全く無抵抗であった老人。
幕府の片手落ちな処分も
その老人には、なんら罪はない。
しかし赤穂浪士は政道を批判し、
忠義という道徳を守って、
老人の屋敷に討ち入りをし、
最後まで無抵抗であった老人を
有無を言わさず殺してしまう。

「法」に照らせば
上野介は無罪であり
赤穂浪士は明らかに有罪である。
だからこそ、死罪になったけれど、
世間からは後ろ指をさされずに、
長きにわたり人々の賞賛を浴びてきた。

これからも賞賛し続けられるであろう。
世間とは「法」よりも
「道徳」を重んじる社会なのである。

「サカキバラ事件」の犯人を
「法」は世間への復帰を認めて、
放免したらしい。
しかし世間の「道徳」は
彼を放免にはしない。
「道徳」という掟からして、
決して放免してはならないし、
彼も彼の両親も世間から後ろ指を
さし続けられねばならないのである。

長崎・佐世保の残忍にして
常軌を逸した事件でもそうであるが、
なぜ両親を引っ張り出して謝罪させないのか?
人権擁護という法や大義で守られているのであろう。
被害者の顔写真も公表されるし、
被害者の親もTV画面に晒されるのに
加害者も、その両親も徹底して守られている。

それは解らん訳ではないけれど、
それでは残忍な事件の抑止力に為り得ない。
もしも自分が凶悪な事件を引き起こせば
自分の親達もこんなに惨めな辱めを受けるのかと
犯罪予備軍の子供達に知らしめるべきである。
それでこそ再発防止に繋がるのである。

人が人を殺してはならないのは、
売春してはならないのは、
盗んではならないのは、、、
「道徳」という世間の掟を守り、
世間から「後ろ指」をさされない為である。

「道徳」の教育を、きちんとせずに
世間がお互いを無関心に生きて、
人権擁護の理由から
後ろ指をさす行為が
悪のような錯覚の世相の中で
おぞましくも残忍凶暴な類いの情報氾濫時代に
人を殺しても平気な子供が培養され続けている。

「道徳」の教育をしっかりと子供にほどこし、
「道徳」に違反する人には
世間は遠慮せずに
後ろ指をさせば良いのである。

「道徳教育」などは古臭いなどと
血迷った戯言は勘弁してもらいたい。
「道徳」は古いに決まっているし、
「道徳」の新発明など有ろうはずが無い。

「道徳」はいつの世でも
世間を正しく守るための普遍の掟である。

その掟を、きちんと教えることもせずに、
後ろ指をさす事すら躊躇っている世間で
凶悪な事件が起こるたびに
「なんと酷い事を・・・」と
茫然としていても
なんの解決にもならないのである。。

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